061中村亞都子さん
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中村亞都子さん。
中村さんは、お姉さんと二人で暮らしています。
「気がついたら、ずっと一緒にいい具合にこうしているんですよ」

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画家 中村亞都子さん

中村亞都子個展にて

あたたかな春の日に中村亞都子さんの個展を訪れた。
その日はちょうど最終日で、中村さんは数人の来場者たちと親しげに言葉を交わしていた。
快活でスッキリとした印象の中村さんは、身体全体で話をするような開放的な女性だった。化粧気のない豊かな表情には、初対面の緊張感をほどよく解きほぐしてくれるあたたかさがあり、少し話をしただけでどうしてだろう、ありがたい気持ちになっていた。
展示してある絵からも同じ空気が漂い、その美しい色使いに深く心を打たれた。生まれ出る生命の息吹のように光に満ちた静かなエネルギーを感じた。
「センを描き、カタチを創り、イロを置く。
それだけのことでどれだけのことができるのか。
センに意味を持たせたり、カタチに言葉を預けたり、色彩をモノとして突き放したり、感情を預けたり。
実体があるもののようで、ないもののようで、夢の中での覚醒のように常に浮遊するなにかを表現する」
中村さんが描くことへの思いをかつて取材先でそう語っていたことを数日前に知ったばかりだった。

絵を描くことと身体を動かすことが大好きな子どもでした。

「私は3人兄弟の末っ子で小さい頃は、絵を描くことが好きな普通の女の子でした。両親が商売をしていたので、おばあちゃんっ子でしたね。中学生になると漫画を描いたり、似顔絵を描いたりしていました。身体を動かすのも好きで走るのも速かったし、水泳大会にも出ていたなあ。部活はバスケ部に入っていたんですけどね。友だちには、どうして美術部に入らないの?と言われて、何で?と思いましたね。
それほど自分にとって絵を描くことは当たり前で身近にあったんでしょうね。高校生になってやっと美術部に入りました。もともと所属するということがあまり好きではなかったのですが、それなりに楽しかったですね。高3で初めて美大を意識するようになりました。高校を卒業して美大へ進むまでの2年間は、就職をしたり、アルバイトをしたり、まあいろいろありましたよ。めでたく合格して美大で学び教員の資格もとりました。東京で教師をしていた時もあったけれどすぐにやめてね、長野の山に行ったんですよ。半年間、山小屋でアルバイトをして、あとの半年はひたすら絵を描いたり個展を開いたり。そんな風に過ごしていた時期もありました。今思うとあの頃はなんにも考えていなかったなあ。そりゃあもう楽しかったですよ」
なつかしそうにテンポよく話をする中村さん。その胸の中には、今までもこれからも少女時代の亞都子ちゃんが息づいているのだろう。ナチュラルでチャーミングな笑顔を見てそう思った。

絵を描くことでバランスを保っているのだと思います。
普通の感覚の中で描いていきたい。

「私は自分を見つめながら考えながら生きていくタイプで、絵を描くことでバランスを保っているのだと思います。料理をすることも楽しいし、ものを作ることも庭の手入れをするのも大好きです。たまたま絵を描くことを優先しているだけなんですね。かたくなに自分の絵の世界を守るだけというのもどうかなあと思うんですよ。ごく普通の感覚の中で描いていきたいですね」
中村さんは、年におよそ一度位のペースで個展を開いている。
「絵を描くことはライブだと思うし、画家とはアスリートだと思っています。体力と集中力が勝負。常にウォーミングアップが必要ですね。この年になって思うことは、いつそれができなくなるのかな、ということ。その年その年のエネルギーもだんだん変化していくだろうと感じています。描くからにはだらだらと描くよりは、よっしゃ!と思って描きたい。私が描いたものを観てくれる人も買ってくれる人もいます。こんなもんでいいだろう、というものではなく自分で納得のいくものを描いていきたいです」
ここ数年、年配の方々が自分がやりたいことを見つけて生き生きとしている姿を目にすると、元気をもらえ励まされる思いがするという中村さんだ。

中村さんは、尚志高等学校の非常勤講師として生徒たちに絵を教えています。
「もうかれこれ23年になるかな。若い人たちと話すってホンットにいいですよ。いつも新しいエネルギーをもらっています」
中村さんは、楽しくてたまらないというように話します。
教壇に立つ中村さんはどんな先生なのだろう。どんな授業なのだろう。願いが叶うなら一度だけでいい。中村先生の講義を受けてみたいと思いました。kマーク

2010.11.04 取材