041斎藤寛美さん
斎藤寛美さん

斎藤寛美さん

音

奏でる音。
「ショパンのメロディーや色彩感に惹かれます」

指

ピアニストの指。

散歩

ちょっと近所をぶらり、散歩中。

演奏会

演奏会の思い出。

斎藤寛美さん

ピアノへの思い、ショパンへの思い

ピアニストの斎藤寛美さんを訪ねた。8帖ほどの部屋にグランドピアノが置かれている。寛美さんは、ひかえめな笑顔が印象的な物腰の柔らかい女性だ。はにかみながら静かに話をする寛美さんにお願いしてピアノを弾いてもらった。曲はショパンの「別れの曲」。
演奏が始まると心地よい緊張感に包まれた。CDとも演奏会場とも違う間近に聴くピアノの音。その音の豊かさと響きに圧倒される。
ピアノに向かう寛美さんのすっと伸びた姿勢が次第に揺れ動いていく。鍵盤をめぐる指先から流れるように音が生まれては消えていく。心やすらぐ洗練された音色だ。
「あなたに一番合っている作曲家はショパンだと思いますよ」大学で師事した先生にそう言われた。
「ショパンは大学1年の時に初めて弾きました。自分自身のテクニックに苦手意識があり、ショパンはなかなか弾けなかった」
けれど練習しているうちに、次第に魅了されていく。
「ショパンのメロディーやハーモニーが好き。なによりも豊かな色彩感に惹かれます」と微笑む寛美さんだ。
大学2年の時に第4回東北ショパン学生ピアノコンクール大学生の部で銅賞を受賞する。この時の経験が原点となり、その後の寛美さんのさまざまな活動へと繋がっていく。
寛美さんは、山形大学教育学部音楽文化コースを卒業。現在、ヤマハミュージック東北郡山店ピアノ講師をしている。
FCT郡山少年少女合唱団のピアニストでもある。

楽しかった安女合唱部、
友人とのかけがえのない日々を糧にして

「この子は小さい頃から引っ込み思案で、このままだと幼稚園に行かなくなってしまうのでは、という時期がありましてね。ピアノが好きなようなので、やらせてあげたいと思ったのです」寛美さんのお母さんがそっと話してくれた。
幼稚園では、休み時間にピアノを自由に弾けた。寛美さんはいつもはじっこの方で毎日のように音を楽しんでいたという。
「5歳の頃に、母から何か習いたいものはあるかと聞かれて、ピアノをやりたいとお願いしました」
クラシックのピアノ曲は日常的に聴いていた。
「母が好きだったんですね。それとテレビのアニメの主題歌を車の中でよく歌ってくれたのを憶えています」
その後、FCT郡山少年少女合唱団に所属。学校では、3、4年生の時には合奏を、5年生からは合唱をやるようになり、中学・高校と合唱の練習で日々を過ごした。
「合唱をやりたくて安女を志望しました。ソプラノを受け持ち、ピアノ伴奏の補助もまかされていました」
その頃からピアノの先生になりたいという幼い時からの夢は、確かな目標となっていく。
毎日遅くまで合唱の練習があり、3年生になってからも受験のためのピアノ練習はなかなかできない。ピアノの先生からは部活はやめるようにアドバイスされる。
けれどやめなかった。どうしてもやめたくなかった。
「合唱の全国大会本番のステージでは、感動で身体がふるえました」日本一に選ばれたときには友だちと抱き合って泣いた。苦しいとき辛いとき、いつも励まし合った友だち。
「嬉しかった。あのときやめなくてほんとうに良かったと思いました」一生忘れない友だちとのかけがえのない日々だという。
寛美さんは、その思いを糧に受験までの日々をピアノと向かい合って過ごした。
「大学へ入学後、朝から晩までピアノだけを練習する友人たちの中で、ああみんなこんなに頑張ってるんだって思い知りました」
その後、マンツーマンでの指導を受けるようになり、師事した先生のピアノの音に心が動かされる。
次第に「こんな音がだせるようになりたい。こんなふうに弾けたら」と強く思うようになっていく。

ピアノコンツェルトへの覚悟と思い、先生の言葉

2008年3月11日、ポーランドのクラクフ室内管弦楽団を迎えて「ピアノ協奏曲の夕べ」が開かれた。5人のピアニストが出演し、寛美さんは「ショパンピアノ協奏曲第2番へ短調Op.21」を演奏した。
「コンサートの誘いがあった時は、ギリギリまで迷いました。コンツェルトはピアニストにとって大舞台、覚悟が必要です」
出演を決心してからは、恩師に特訓を受けたという。
「楽曲は、学生の頃からよく聴いていた曲。先生が以前、演奏するのを聴いたことがあって、あこがれていた曲でもありました」
ソリストはまず音量とその質を求められる。自分は音が出る方ではなかったので大変だったという。ああ、これが終わったらコンツェルトはもうやらないと思いながら練習する日々だった。
「けれど、演奏会が終わったあとの思いは全く違うものでした。やって良かった。ショパンを弾いて良かった。またやりたい、そう思う確かな自分がいました」
先生からは「勉強は一生続けていかなければならないのですよ」と教えられたという。今、その言葉が寛美さんの支えになっている。kマーク