067赤とんぼ
神山典之さん

神山典之さん。
仕事の時は奥さまに厳しい典之さんですが、普段の生活では頭が上がらないと笑います。
毎日使っている愛用の道具入れは、奥さまの手作りだそうです。
「美容師さんが持っているようなカッコいいものが欲しかったんです。思うようなものが見つからず頼んで作ってもらいました。だんだん味が出ていい具合になってきました」

幸枝さん

奥さまの幸枝(さちえ)さん。
典之さんとは、合コンで知り合ったそうです。
「始めは、調子のいい人だなあって思いましたが、話をしていくうちに実は真面目な人だと解りました。誠実な人とはこういう人のことを言うんだと思いましたね」

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神山菓子店

神山菓子店 生まれ出る小さなものたち。

知人から美味しい和菓子の店を教えてもらった。
心待ちにしている地元のお客さまも多く、午前中で品切れになることもあるそうだ。
郡山市街地から東へと車を走らせる。東部ニュータウン入り口の先にお店はあった。
「神山菓子店」は、創業110年余の老舗の和菓子屋さんだ。
三代目のご主人と奥さま、息子さんご夫婦の家族4人で営んでいる。
お店には、創業当時から作られている昔ながらの「みそまんじゅう」、黒糖の風味豊かな「和すけまんじゅう」、最上級の小豆を用いたどら焼き「舌づつみ」などが並ぶ。
季節に合わせて作られるお菓子も店頭を飾り、美しい色や形のひとつひとつに見とれてしまう。
それはまるで生まれ出た小さな生き物のよう。力強く愛らしく凛とした佇まいに心惹かれる。
口にする人のしあわせな顔が想像できるようなお菓子だ。

大切な友人たち、互いに教え合いながら広がる世界。

四代目の神山典之さんは、小さい頃からお父さんがお菓子を作っている姿を見て大きくなった。
「私は3人兄弟の一番上で、店を継ぐのはあたりまえのように思っていました。何の反発もなく、父親が卒業した東京の日本菓子専門学校に入りました」
1学年200人の内、洋菓子科は170人、和菓子科は30人。圧倒的に少ない和菓子科の中でも自分から和菓子をやりたいと来ているのは数人だったという。
「人気がある職業はパテシエです。自分は和菓子を選んで良かった。好きなんですね、和菓子が。器やお茶など和菓子につながるものにも惹かれます。卒業後は、一緒に学んだ友だちと茅ヶ崎のお菓子屋さんで4年間修業しました。毎日しごかれましたよ」
修業先で典之さんは学校の授業で受けたことだけが正しいのではないことを知る。友人の存在も大きい。自分では解らないこと、出来ないことを互いに教え合うことで幅が広がっていくという。
茅ヶ崎という土地柄もあり楽しみは海へ出ることだったと笑う典之さん。
「すぐ近くに海がありますからね、休みの日は友だちとサーフィンばかりしていました。」

自分はどれだけ味を知っているか

一連のことがそこそこ出来るようになった修業3年目の頃、東京は赤坂にある有名な老舗のお菓子屋さんを訪ねた。本にも取りあげられ、友人が修業をしている店でもあった。
典之さんは店の前で10分ぐらい立ち尽くす。店自体にオーラがあり足がすくんでしまったのだ。
「やっとの思いで入ってお菓子を買い、その味に再び衝撃を受けました。本を見ているだけではだめなんだ、ということを思い知った瞬間でした」
ひとつのお菓子を実際にその場所に行って食べてみること、いろいろな土地の味を知ることの大切さを実感したという。
その後さらに一年間、茨城の取出にある店で修業をする。地元に戻り、お父さまと一緒にお菓子を作るようになったのは13年前、25歳の時だった。
今も味を知る旅は続いている。機会を見つけて東京や京都、仙台などの菓子店をめぐりながら食べ歩きをするという典之さんだ。
「菓子作りは自分で考え自分の味を作れるところが魅力です。どれだけ味を知っているかが重要で、知ることがいいと思う味の幅を広げることにつながっていくのだと思います」

いつかお茶席のお菓子を作りたい

いつかお茶席のお菓子を作りたいという典之さん。
「一年ほど前からお茶を習っています。お茶を知っていないとそのお菓子は作れない。作法を通してお茶とお菓子との間合いを勉強しています」
典之さんは、お菓子から広がるさまざまな出会いを大切にしている。
お茶の器、お茶席のある庭などその一つ一つにたずさわる人との出会い。
「人とのつながりの中で自分も変わっていくと思うのです。自分の思いを醸し出す雰囲気を育てながら、上へ上へと変化して行きたい。技術も大切ですが、一度それを捨てる思いで現状を抜け出し、その先に行きたいです」

3.11原発事故後のこと、
浜から避難して来た人への思い

典之さんご夫妻には、4年生の女の子と2年生の男のお子さんがいます。
「震災後は、子どもたちを外に出せなかったのでストレスがたまりましたね。大人は我慢できても子どもが食べたいもの、チーズや牛乳、パンなどが何処にもなくて」と奥さまの幸枝さんが当時を振り返ります。
「原発事故は、何だかわからないけれど怖かったですね。両親には、子どものために埼玉にいる姉のところに避難したらどうかと言われましたが、浜の方から郡山に避難して来ている人が大勢いることを思うとそれは出来なかった。いろんな考え方があるけれど自分たちはここに居ることを選びました」
覚悟を決めた典之さんたちは、お菓子作りを再開し午前中だけ店を開けましたが誰も来ない。車も通らない。走って来るのはいわきナンバーの車ばかりでした。
「彼岸の法事も全てキャンセル。お菓子は売れないし材料もダメになってしまう。そんな時、開成山公園を開放して炊き出しをやっていることを知りました」
典之さんたち家族は、これから先どうなるかわからない、どうせ店をやめてしまうのなら材料を無駄にしないで困っている人のためにできることをしようと思います。
あった餅米を全部炊いておにぎりにしました。塩をまぶしただけのシンプルなおにぎりです。お菓子も全て持っていきました。
避難して来た人たちは、餅米のおにぎりとたくさんのお菓子を目の前にしてどんなにか心が安らいだことでしょう。
浜から避難をして来た人のために一生懸命心をつくす典之さん家族の思いに胸が熱くなります。kマーク

2013.03.27 取材

神山菓子店
郡山市中田町高倉字下ノ沢84
TEL024-943-1917
営業時間/8:30〜19:30
定休日/火曜日
駐車場有り