このサイトは2001年〜2007年に取材、掲載したものです。現在の情報と異なる場合がありますのでご了承ください。

野口英世青春館

野口英世青春館

まこと食堂

清作が勉強していた机。ここで野口少年は、睡眠時間約3時間というほど、寝る間を惜しんで勉強していた。

2代目

書生時代の野口清作。館内には、当時の友人たちと撮った写真が、飾られている。

まこと食堂

野口博士を輩出した後も、書生を受け入れていた会陽医院。
「俺は第二の野口英世になる!」という後輩の決意文が、雨戸に書かれていた。

まこと食堂

当時のままの造りを残した館内。
アメリカやガーナから届けられた資料や写真も、数多く展示されている。

2004年春【第九巻】野口英世の故郷、会津を訪ねる 02

野口英世青春館

医師を目指した青春時代。
野口少年の志は、次の世代へと受け継がれて。

会津若松市中町4-18
TEL.0242-27-3750
■営業時間/AM8:00〜PM8:00
■定休日/無休
■入館料/100円
■駐車場/有り

医者への道は、ここから始まった

野口英世青春通り沿いにある「野口英世青春館」。
そもそも、通りが野口英世青春通りと名付けられたのには、この場所が大きく関係している。
野口英世青春館のある建物は、清作が医者を目指すきっかけとなった「会陽医院」だったためである。
幼い頃に火傷した左手の手術は、会陽医院の院長・渡部鼎氏が執刀した。当時、渡部氏は、会津で有名な医師であり、多くの患者が訪れたという。
清作は、自分の左手を手術した渡部先生のようになりたい、と医師を目指したと言われている。
また高等小学校を卒業したあとの3年間、この会陽医院の2階で、書生として下宿し、掃除番や玄関主などをしながら、寝る間を惜しんで勉強に励んでいた。

少年・野口清作の素顔とは?

今の建築にはあまり見かけなくなった急な階段や、老朽した窓ガラスからも分かるように、館内は、当時のまま残されている。
館内には、清作少年が勉強していた机や友人たちと撮った写真や成績表などが展示されている。
渡部先生に顕微鏡を初めて覗かせてもらった時の話や初恋の人・山内ヨネとのエピソード、いつも破れた服を着てたために、周囲には「ぶっくれ(破れ)書生」と呼ばれていたことや医学前期試験のために東京に出る際、一度猪苗代の実家へ戻った時のことなどが記録されており、当時の清作の素顔を知ることができる。
また、アメリカ渡米後の資料や写真なども数多く展示されている。
会陽医院では野口博士を輩出した後も、書生を受け入れていた。
後輩が「俺は第二の野口英世になる」という決意文を書いた雨戸も残されている。

地図